ペドフィリアの処方箋:子供を守る

少し前の事件がきっかけで、ペドフィリア(小児性愛)について調べていました。最初は、これ以上子供たちを被害者にさせないようにするにはどうしたらいいか、って思ったの。そんな社会にしなきゃいけないっていう無駄な責任感が燃えたんよね。


まず、子供をペドフィリアから遠ざける事が先決なんだけど、誰がペドフィリアか分からないからこれは難しい。PTA会長として存在してたりする訳だから、外見や肩書じゃ、もう完全に見破れない。だからといって子供と大人が完全に住み分けることは無理な訳で。

じゃあ、ペドフィリアを治す方向で考えればどうかな。そもそも、どうして小児がいいの?どうして成人女性と恋愛関係を築けないの? 自分に対する自信の無さから、より受け入れてくれそうな年齢層へ行ってしまうのかなぁと思っていました。それなら、自分に自信を持てるように何らかのワークをすることで改善できるんじゃないか、と救いの道を探していました。

いろいろ調べて分かったのは、そういう自信の無さや、或いは性的嗜好や、幼少時のトラウマが原因じゃないってこと。女性が男性を恋愛対象にするように、或いは、男性が女性を恋愛対象にするように、ペドフィリアは小児が恋愛対象ってこと。治すとか変化させられる事柄じゃないってこと。


LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました 

(マサキチトセ様の記事より抜粋させていただきました)
平均しておよそ1インチ背が低く、IQもまた10低いということも発見した。これは、出生前や小児期の発達上の問題と一致している。2008年の調査でカンターの研究チームは、65名の小児性愛者の脳をMRIで調べた。性犯罪を犯したことはないが他の犯罪を犯したことのある人たちと比較した時、彼らの脳には白質(脳の接続回路)が少ないことも分かった。

※ 日本にはこういう冷静に経過を見つめた記事が少ないので、とても参考になりました。マサキチトセ様、翻訳ありがとうございました。れん拝


 小指が曲がっているとか、左利きが多いとか、そういう生物学的に区別できる存在。 言ってみれば、『あなたの性別は?』と聞かれたとき、「男性・女性・ペドフィリア」と分けられるようなもの。これを知ったときはショックでね・・・・。事件を起こした男性もそうだったけど、表向きはとてもいい人なんだよね。自分のナチュラルな欲求が、社会的に認められないと分かっていて必死に抑えてる。抑えすぎていい人を演じてる。

愛する人を愛することは、通常はとても美しいことなのに、ペドフィリアにとってそれは重罪なんだよね。何度も自殺未遂する人もいるらしい。

女性の皆さん「あなた男性を愛しましたね、逮捕します」と言われたらどうですか

男性の皆さん「あなた女性を愛しましたね、死刑です」と言われたらどうですか

だからペドフィリアを許してあげてくださいなんて言うつもり無いです。罪のない子を手にかけた怒りはまだ轟々と燃えています。両親から命より大事な子を奪った怒りに震えています。


でも、この不条理が理解できない。スピリチュアルを学んで、自分を愛することや罪悪感を解放することは、誰もがみんな持ってる人生のテーマだと思った。心の声や身体の声に耳を傾けていくことが自分を生きる事であり、イコール幸福への近道であり、地球が喜ぶことだと分かったの。


なのに、ペドフィリアは身体の声に従う事は重罪。思考を現実化させることは重罪。生きながらカルマを増やし続けていく。罪悪感の中で生き死んでいくことが運命なんて。

どうしてなの。ペドフィリアを救う事ができなければ、子供たちを守ることもできない。人はみな、幸せになるために生まれて来たんじゃないのですか。人はみな、カルマを解消し、自分に戻る旅をするために生まれて来たんじゃなのですか。 


 追記2018.1.19  

社会的に関心度が高いトピックなのかな、検索されることが多いみたいなので追記しておきます。

調べていてわかったこと。 ホルモンを調整することで、湧き上がる衝動を抑える試みが始まっています。(まだ大きな専門の病院での対応のみとなっているようですが) あどけない笑顔や、たどたどしい仕草を見たら誰だって「幸せ」や「可愛さ」や「愛」を感じます。その子が「自分の人生を生き生きといきられますように」と願います。 小さな子を可愛いと思ったり、例えば異性の手とか足とかに興味が湧くとかの「嗜好」はね、障害じゃないの。自由で許されている心の癒しです。誰に咎められるものでもないの。大いばりで口外してもいいし、没頭してもいい、むしろ没頭する時間が今の社会には必要とすら思います。

ただ、それが他人を傷つけるようなことがあってはならないよね。 「自分のものにしてしまいたい」と想うなら、それは「愛」ではないの。どんな小さな子にも人格があって、自分のものにしてしまうことはできないの。仮に自分のものにしてしまったとしたら、その子の人生は傷つき再起不能になるでしょう。

そんなことを優しいあなたは望まないよね。だったら、それはやってはいけないこと。 嗜好が他人を傷つける可能性にまで膨れ上がるなら、それを抑えるしかない、現時点では。 ホルモン的に抑えるというと何か不自然な感じがするかもしれないけど、他人を傷つけようとする衝動こそが不自然な、愛ではない衝動です。それがたった数ミリグラムのホルモンで、街に出て小さな子を見てもただ「かわいいね」とだけ思う、そんな平和な世界に変化させられるなら、私なら利用するな。

 自分のナチュラルな欲求が、社会的に重罪だというジレンマの中で生きるのは、さぞやつらいことだと思います。どうしてもどうしても辛いなら、化学の力を利用して平和を手に入れられるなら、病院に問い合わせてみてください。カウンセリングなども必須になってくると思います。心ないお医者さんがいたとしても、応援している人がいっぱいいることを忘れないで勇気をだしてほしい。応援しています。 

    

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