新幹線でナタを持った犯人から女性を守るために掴みかかり、結果、亡くなってしまった男性。
朦朧とする意識の中で何を感じていたんだろう。大勢いた乗客は他の車両に逃げてしまい、犯人と男性だけだったという。どくどくと身体中の力が抜けて、抗うこともできなくなったその瞬間、彼の視界が真っ暗であったことを祈らずにいられない。
家族を持つ立場として身を守ってほしかったという意見を見かけました。大黒柱を失ったご家族の方々には心よりお悔やみ申し上げます。でも私は、彼の行為が無責任とは思えない。
私の場合だと、助けなきゃいけない人がいたとき、走り寄ろうと反射的に身体が動く。周囲の誰かが私の肩を掴んでやっとその衝動を抑え込むけど、どうして止めるの!?って納得できない想いが渦巻く。たぶん、この男性もそうだったんじゃないかな。「ナタだ、危ない」とか計算する間もなく身体が勝手に動いてしまったんだと思う。
現実を生き延びる方向で判断しないとならないんだけど、私の司令塔は「無謀でもいい、目の前の人を救え」と思考より早く指令を出してくる。もう・・・これはしょうがない性質なんじゃないかなって諦めてる。
で。
なぜか知らないけど、他にも戦ってくれる人がいるはずだって思ってる(私の場合は)。
だから、自分ひとりきりだったと知ったとき、ナタなど振り下ろされなくとも、その孤独感で死ねるくらい悲しい。まして、「その他大勢」の皆さん方が遠巻きに見ていたりしたらもう即死レベル。のろのろと身体から抜け出して天の神様に報告するの「人類は終わっていました私もうダメです」と。
社会でいつも感じるのはそういう「もの言わぬ群衆」。普段の生活しかり、こちらが何を発信していようと、ましてイジメを見ても、虐待を見ても知らんぷり。
感情が見えてこなくて、本当は感情ないのかも?とすら思う。不気味すぎる。恐い。
今回のニュースも、何が恐いって犯人よりその「何も言わない群衆」。今まさにひとつの命が消えようとしている瞬間ですら、遠巻きにしていたの?
そうじゃなかったよ、そんな訳ないじゃん!みんなそれぞれ出来ることを一生懸命したの、止血したり、警察を呼んだり、必死で立ち向かったんだ、って情報をみたい。心がつぶれてしまう。
私にとっての失望は人の心から感情が消えてしまうことです。
憎悪でも愛でもなんでもいい、人間らしい感情を持っていてほしい。
「おまえだってその場に居合わせたら逃げたはず」って大勢の人は言うかもね。
そうかもしれない。でも衝動的に戦ったかもしれない。愛で危険に飛び込む人をひとりになんて出来ないよT-T
それを人に求めちゃいけないのも分かってる。善意は求めるものじゃないし、ましてや責任も安全も放棄して飛び込んでしまう性質を持ってるなら自己責任と言われても仕方ない。
でも。せめてこの男性のそばにいてあげたかったと思う。勇気ある行為の結果ひとりで旅立つようなことをさせたくなかった。無念すぎる。遅ればせながら、感謝の心を天に向けて祈らせてください。
ありがとう。あなたの勇気はきっと誰かの心に火を灯します。決して消えない火を灯します。
「人間も捨てたもんじゃないよ」って感じの動画見てから寝よう。
ものすごく力が湧いてくる。モチベーションのもと。
<追記 2018.6.17>
「もの言わぬ群衆」に恐怖していたら、社会心理学では「傍観者効果」っていう名前がついている現象だという記事に出会いました。(最近こんな風に、知りたいことが向こうからやってくる私)
傍観者効果
何かが起こった時、多くの人は「どうせ誰かがどうにかするだろう」と傍観してしまう。本質的に「群れ」の動物である人間は、「群れ(集団)」の中で起きることに対して、基本的に傍観者的な態度をとってしまう。その行動パターンから抜け出すには、まずは「人間はそういう性質がある」という認識を持つことが重要なんだよね。
故意に見捨てているのではなく、集団の習性みたいなもの?
人は、無意識に他人に影響されながら毎日を過ごし、仲間外れになることを嫌います。生まれながらにして、そういう風にできているのです。 なぜなら、「周りの人たちと同じように行動したほうが、社会活動において優位になるから」です。 これは、何万年もかけて、進化の過程で培ってきた人類の特性なのです。この傍観者効果を知った被験者は、大勢の中でも道徳的な行為をするようになる傾向にあります(道徳に関する講義を受けたわけでもないのに!)。出典:星名接骨院
集団心理ってそうなんだ、と認識することが、いざというとき「助ける」という行為に移れるようになるのですね。人の心理って複雑やなぁ。
そういう集団心理があると分かって、ワタシは救われた気がしました。故意に放置している訳じゃない。性善説派のワタシにとってはものすごく大きな救いでした。ありがとう^^
傍観者効果をどんどん周知させていくことが、傍観者を動かす方法のひとつ
とすれば、この事件もそれに一役買ってくれたということになります。人生を賭けて「傍観者になるな」と伝えてくれた被害者の方に、改めて感謝を送りたい。それが弔いのひとつになると信じて。
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