本日付の毎日新聞WB版にこんな記事が上がりました。
以下抜粋
<やまゆり園>中3が作文 人の価値、誰にも決められない
生徒はやまゆり園の近くに住む。清掃活動や運動会を通じて利用者と交流があった。作文では、毎夏に園主催で行われていた花火大会で赤や黄色の花火を一緒に見上げたシーンを回想する。
毎年そんな夜が僕は楽しみだった。
だが、あの事件が起きてしまった。
道端で園の利用者たちと交わす、何気ないあいさつ。笑顔で返す人もいれば、無言の人もいた。生徒は、利用者たちが笑って応じてくれていると感じ、作文にこう書いた。
その人が考えていることは本人にしか分からないはずだ。それはやまゆり園の重度の障がいを持った人も同じなのではないだろうか。
だが犯人は、返事をしないという理由で殺していった。
本人にしか分からないことを他人が決めるのはおかしい。障がいがあるからといって「不幸しか生まない」と言うのもおかしい。
殺傷事件から間もなく2年。やまゆり園は今、白いフェンスに囲まれ、建て替えに向けた工事が進む。生徒は入り口に立つと、かつての思い出と事件当初のつらい記憶が入り交じるという。
花火大会でにこにこと笑っていた人、歓声を上げていた人、ボーッとしながら見上げていた人。そんな人たちの顔を僕は忘れることができない。
みんなに価値がある。人の価値を決められる人は誰もいない。だから僕は、相手の価値を勝手に決めず、相手の価値を互いに尊重しあえる社会であってほしいと思う。
相模原障害者施設殺傷事件
2016年7月26日未明、相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者が次々と刃物で刺され、入所者19人が死亡、職員3人を含む27人が重軽傷を負った。19人の殺人罪などで逮捕・起訴された元園職員の植松聖被告(28)は「障害者は生きていても意味がない」などの言動を重ね、検察側による起訴前の鑑定では、自己愛性などの複合的なパーソナリティー障害と診断された。
相手の価値を勝手に決めず、相手の価値を互いに尊重しあえる社会であってほしい
中学3年生とは思えぬ成熟した倫理観。本当にあっぱれです。
新しい時代を担う世代は、エゴにまみれた古い価値観を華麗にスルーして、堂々とさらりと愛を説く。頼もしい。
「相手の価値を互いに尊重しあえる社会」
誰かがLGBTであっても、誰かが嫉妬深くても、誰かが日本人じゃなくても、誰かが貧乏であっても、「そっか、そうなんだね。それは君の弱点ではなく君らしさだよ、恥ずかしがる事なんて1ミリもない。大事にしていいんだよ」と受け入れあう社会。
そんな社会がもうすぐ実現するんだね。
安心しました。
なんだか定年を迎えるような気分。
もう自分の好きなことだけやって生きていいみたいな(笑)
気が早いかな(笑)
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